戦後の復興も進み社会が落ち着きを取り戻しつつある中、それ迄停滞していた様々な気象観測技術の開発が始まった。1950 年以降、⺠間気象事業者も起業したものの、多くはメディア関係の気象情報解説が主で、調査業務となれば観測データの統計処理が主であった。本格的な調査業務となれば、目的に合った気象観測が必要になるが、現実は観測機器を準備する経済力はなく、⺠間では労働力提供の範囲に留まっていた。戦後の復興も進み社会が安定する中、気象庁(1956 年 7 月 中央気象台が昇格)は戦後気象観測機器の本格的な開発試作を始め、気象庁・気象研究所や気象測器製作所がその任に当たった。当時の気象業務は気象業務法に準拠した業務処理を求められ、この法律が⺠間気象事業の業務を圧迫・制限する部分もあるが、高品質の観測値を得るには有効な方策の一つでもあった。また、電子技術や使用部品等の開発発展が進み、海外からも様々な情報や技術そして製品が輸入されるようになったものの、経済格差等で容易に入手出来なかったと想像される。当時、風速計、白金抵抗測温体はじめサーミスタや熱電対、そして日射計等が出現した。気象研究所 佐貫 亦男(1908〜1997)らは海外の情報等を睨みつつ風車型風向風速計等の国産化を実現し、1952 年頃から使用開始し、光進電気工業(株)が風車型風向風速計(1953)を販売している。風速センサに発電器、風向に交流同期モータ、そして専用記録器で構成し、隔測で瞬間値をリアルタイムで記録することが可能となり、それ迄の風程による平均値以外の観測値を得ることを実現した。この風車型風向風速計は 1970 年頃に気象庁の制式測器となった。
 一方、他の観測要素はそれぞれの要素に沿ったセンサが開発され、その記録に自動平衡記録器が使用された。自動平衡記録器は、1898 年にイギリスで機械式が、1940 年代にアメリカで真空管を使用した電子式が誕生した。国内では 1951 年頃、横河電機(株)が真空管式を開発している。その他、多くのメーカが手掛け、改良を重ね最後は半導体を使用した装置に代わったが、当初は殆どが工業プラントに使用され、気象界が採用する迄には多少のタイムラグがあったと言われている。この記録器はよく目にする打点とぺン書きの 2 タイプがあって今日も使用されている。これで観測から記録まで一貫した観測システムが完成したが記録紙を読み取ることに変わりはない。
 ⺠間気象業者が観測を伴う本格的な調査業務を始めたのは 1960 年代末からで、農業や交通等、そして各種立地環境調査等多岐に渡った。顧みると 1950〜1960 年代に気象観測システムの基礎が築かれていたと考えられる。さらに磁気テープ式データロガーの誕生でコンピュータを駆使して、より詳細な気象観測が可能となり、気象理論の解明や実証に貢献したと云えよう。観測システムから容易に電気信号が得られるようになり、気象観測用デジタルカセットテープ式データロガー(写真 2)等が 1978 年に誕生した。一般地上気象観測は正時前 10 分間を対象としており、サンプリングタイムが変則的な従来の気象データとの整合性を損なうことなくサンプリングタイムの設定を可能としている。その後、パソコンも普及し、観測からデータ処理迄のシステム化と通信環境との統合により、オンライン化の道へと進み、今日では普通に使用されている。

 Mest 渡邉好弘