神国と云われる日本の気象に関わる神様は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)と伝えられ、気象神社の御祭神である。近年、気象関係者は気象に関わる神社は気象神社と答えるもののその歴史等を知る人は少ない。
 気象神社の歴史は新しく、約 80 年である。その起源は日本陸軍 陸軍気象部である。軍と気象は関係が深く、各部隊に気象隊(気象班)があったほどだ。その中で、昭和 10(1935)年陸軍砲工学校内に設けられた気象部は、昭和 13(1938)年 4 月 11 日に制定された勅令で、陸軍の気象を担当する軍人の教育及び育成を行う陸軍気象部となった。本拠地は東京都杉並区馬橋四丁目(今の高円寺北四丁目)である。昭和 18(1943)年夏、陸軍気象部⻑ 諌式 鹿夫から気象部第二課の渡会 正彦(2008 年没)に気象神社建立の下命があった。渡会 正彦は東大の松下 清夫(1910〜2003)らと相談し、設計と宮大工手配は内務省の神社建築の権威 角 南隆(1887〜1980)に依頼、気象神社を収める神域は造園学の泰斗 東大の田村 剛(1890〜1979)が担当し、昭和 19(1944)年 4 月 10 日に気象神社が建立された。その後、昭和 20(1945)年 4 月 13 日の米軍による空襲で、陸軍気象部も被災し気象神社は焼失した。直ちに、田村 剛が中心となって再建立したものの終戦となった。
 気象神社建立に携わった田村 剛以外の方々は建築学者で後にそれぞれの建築学分野の重鎮となった。太平洋戦争の終結(昭和 20(1945)年 8 月)により、軍は解体され、気象に関わった軍人は転属・復員し、後に気象企業等に就いて気象業務の発展に尽力した方も多い。 陸軍気象部跡地は後の気象庁気象研究所となり、その後、気象庁気象研究所は昭和 55(1980)年 6 月 30 日つくば市筑波学園都市内に移転した。現在、その跡地は杉並区営の馬橋公園になっている。戦後の日本は GHQ の統治下となり、神道指令の一環で、宗教調査局が国家神道廃止のための調査を行ったが気象神社は調査から漏れて残った。これとは別に、宗教調査局の調査前に気象神社を陸軍気象部敷地から運び出し難を逃れたとの話もあるが確かな証拠は得られなかった。終戦直後からしばらくして関係者が陸軍気象部の様子を見に行き、気象神社の存在を確認して遷座すべく場所を探し、高円寺 氷川神社宮司 山本 実(東京都杉並区高円寺南四丁目 44-19)に気象神社の受け入れをお願いし承諾され、昭 和 23(1948)年 9 月 18 日、氷川神社の例大祭に合わせて本殿⻄側に遷座した。その後、平成 15(2003)年 6 月、老朽化に伴い神社を再建立した。現在の気象神社は三代目になる。気象神社の例大祭は、毎年、気象記念日の 6 月 1 日に行われている。 ※文中、敬称

 Mest 渡邉好弘